恩師の死と変容への確信
つい先日、会社時代の上司で仲人をしてくれた恩師が亡くなりました。
その葬儀はカトリック教会で行われました。教会の葬儀は初めてですが、質素ながらも久しぶりにキリストの言葉に触れ、心が洗われる思いがしました。
その師は、定年後の62歳で洗礼を受けクリスチャンになったことは死後知りました。
生前から人に優しく思いやりに溢れた人柄から、クリスチャンになったことには驚きはありませんでした。
残念ながら、ここ十数年は年賀状のやりとりだけで、お会いして話す機会もなかったのですが、わたしは、クリスチャンではないけれど、師とスピリチュアルな事柄に共通性があったことを嬉しく思いました。
そして、師の葬儀に参列して、今起こっているアセンションと心身の変容についての確信がますます強くなってきたのです。
わたしは、今年に入ってからの、わずか半年間の葬儀の参列は8回目です。昨年は、1年間で6回でした。一昨年は0回。
昨年、自治会長になってから多くなってきましたが、実は、この葬儀の参列には意味があるのです。
真のスピリチャルなことを勉強している人々にとって、生命は永遠であり、死は今の肉体を脱ぎ捨て、新しい世界に入るステップに過ぎないという事を理解しています。
夢解釈でも、死は「古いものが終焉を迎えています。新しくはじまるもののために、道を開けましょう。生命とは、より高い気づきへと向かって死のプロセスから再生へと向かいます」とされ、進化を示す良い象徴とされています。
このようなことから、わたしにとって、過去から葬儀参列は自分自身の変容を表すバロメーターにもなっているのです。
つまり、自分の目の前に起こるあらゆる事柄、リアリティは自分自身の意識の表れであるから、葬儀参列とは、自分の内側の死と再生を意味する象徴なのです。
わたしは、前回のブログの「どんど焼き12(最終回…自由へのゲートが開く)」を公開してから、身体の変調が顕著になってきました。別に病気になっている訳ではありません。
変調自体は常に起こっていますが、今回のは少々大きい。しかし、3年前の大浄化とは根本的に異なっていて辛さが極端に少なく、精神面は良好で肉体面の変調が際立っていることです。
地球上のエネルギーが新しいステージに向かって動き出している今、自分自身の内面の死と再生、つまり奥深い変容が頻繁に起きていると確信出来るのです。
師は、この世の役割を終えて肉体を脱ぎ去り、霊の世界に戻りました。
多分、霊の世界で迷える霊人を救う役割を担っていくことでしょう。
前夜式(通夜)の時、お棺で拝見した顔が小刻みに震えているのが分かりました。
地震ではなく、他人がお棺を揺らしている気配もなく、ただ顔だけが揺れていました。
それは、「良く来てくれた。これからも人々の意識向上に向けて神と共に頑張ろう」というメッセージに受け取れた不思議な現象だったのです。
まさに、自由へのゲートが開いたことによって、目の前の現実、リアリティがさらに大きく変貌し、真の人間らしさを迎える時代にさしかかっている実感がしている今日この頃です。
Posted by しんゆひで at 06:00 午前 スピリチュアル, 心と体 | Permalink | コメント (0)












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